言葉の再定義が救い

この世を生きやすくなりたい。

「人間は考える葦である」vs「考えたら負け」

 

「人間は考える葦である」はパスカルの有名な言葉。

一方で、「考えたら負け」というホリエモンの本である。

 

 

「考える」と「考えるな」とあって、どっちやねん!ってなる。

 

 

でも、これ実は同じことを言っているのかもと思った。

 

 

人間の生きる目的というのが何なのか分かりませんが、「何かしらを成す」というのがあるかもしれない。

 

 

でも、一言に人間と言っても、色々な人間がいる。例えば、ポジティブな人とネガティブな人。何かを成し遂げたい2種類の人間がいたとして、その人たちにどんなアドバイスを送るか?

 

 

2種類の人間に同じような言葉でアドバイスをしたとして、片方に効果があっても、2種類の人間に同時に響く言葉にはなりにくい。

 

 

じゃあ、かける言葉を分けるしかない。

 

 

  • ポジティブで行動力のある人には、「人間は考える葦である」という少し立ち止まって考えさせる言葉をかける。
  • ネガティブで自信がなく理屈ばかりで行動力がない人には、「考えたら負け」という言葉をかける。

 

 

そうすれば、両者とも何かを成し遂げるヒントを得ることができる。

 

 

ここから分かるのは、自分がどんな人間かを知り、どんな言葉と普段から触れ合っていくべきなのかを見定めること。

 

 

私はネガティブで行動力がない方なので、ホリエモンの言葉がブーストとしてちょうどいい。

 

 

 

 

そんな具合で、真っ向から対立しているようであっても、人間の多様性を考えるとそりゃ一律の考え方だけがあるわけじゃないよな、となんとなく思ったのが今回の気づきでした。