そもそも「言葉を再定義する」目的とは???

 

私は、言葉を勝手に再定義するのが好きです。

そうやって言葉の再定義を自分で考えたり、他人の言葉の再定義を紹介してきました。

 

 

でも、じゃあそもそも何のために言葉を再定義するのか?

詰まるところ「言葉の再定義」とは「言葉の価値の再発見」ではないかと思いました。

 

 

自分では言葉の意味を知っている気になっていた。

ただ、当たり前すぎて、その言葉の意味にわざわざ注目する意識がなかった。

それを、言葉を別の角度から見ることで、新たな側面に気づき、その本来の言葉を再評価する。

それが「言葉の再定義」をする意味だと思いました。

 

 

また、人によって使っている言葉の意味が違う、ということも発見でした。

なぜ同じ単語を使っているのに、違う意味で使われるのか。

それは人によって根っこにある価値観が違うからでしょう。

 

 

例えば、「アドバイス」という言葉。

「助言」という意味。

 

 

ただ、人によってはこういう使い方をします。

「アドバイスしてやっているんだから、俺の言うことを聞け。」

これもたしかに「助言」という意味合いも含まれています。

 

 

しかし、個人的にはこのセリフは気持ち悪かった。

そこで「アドバイス」という言葉の意味を再定義しました。

「アドバイス」とは、「相手に選択肢を与えること」。

そうだとすると、最終的に決断を下すのは自分であって、アドバイスをしてくる人の言うことを無理に聞く必要はない。

それは「アドバイス」ではなく、ただの「命令」です。

 

 

ここで言いたいことは、人によって言葉を自分の都合の良いように意味を改変して使っていることです。

 

 

どうしてそんなことが起きるか。

それは人によって価値観が違うからだと考えました。

根っこの価値観が異なると、表情上で行う言葉のコミュニケーションで齟齬(そご)が生じる。

 

 

例えば、「成功する」という言葉。

どういう状態になることがその人の人生における成功かは、その人の価値観によって意味がまったく異なってきます。

 

 

そういう価値観の違いによって生じる単語の意味の誤差。

それを「言葉を再定義」することによって、意味の誤差を限りなく小さくすることができるのだと思いました。

 

 

と、色々御託を並べてきましたが、単に「言葉を再定義する」ことを自分が好きなだけ。

ただ単に面白がってやっているに過ぎないようです。

なので、何かとんちんかんなことをしていても「なんか言ってるよ」くらいに見てもらえるとありがたいです。